寺家さんは、2024年M-1グランプリ準優勝・バッテリィズのネタ作成担当です。
M-1グランプリ決勝では、審査員からは大うけで、今大会最高得点「861点」をたたき出しました。
ついに今年、東京進出を果たしました。
相方・エースに隠れがちな寺家(じけ)さん、どんな学生時代を過ごし、爆笑ネタを作る下地(したじ)を作ってきたのか気になります!
バッテリィズ寺家(じけ)さんについて調べましたので、お読みください!
バッテリィズ寺家(じけ)ー出身中学校の詳細ー
バッテリィズ寺家さんは、三重県津市のご出身です。
現在のところ、彼の出身中学校については公には明かされていませんが、地元津市内の公立中学校に通っていた可能性が高いとされています。
また、バッテリィズ寺家さんの出身高校の皇学館高等学校には、系列の皇学館中学校(偏差値46)も併設されているので、皇学館中学校の出身者の可能性もあります。
中学時代のバッテリィズ寺家さんは、野球部に所属しており、運動神経が良く活発な少年だったそうです。
野球部で、運動神経抜群なんて、モテ要素100%ですね!
中学校時代からユーモアセンスに優れ、周囲の友人を笑わせることが得意だったというエピソードも語られています。
バッテリィズ寺家(じけ)ー出身高校詳細ー
バッテリィズ寺家さんの出身高校は、三重県伊勢市にある私立の「皇學館高等学校(こうがくかんこうとうがっこう)」です。
皇学館高等学校は、神道系の伝統を持ち、学業・部活動ともに熱心な学校として知られています。
バッテリィズ寺家さんは、皇学館高等学校で、勉強だけでなくスポーツや仲間との交流にも積極的に取り組んでいたようです。
中学校時代は野球部に所属していたというエピソードがあり、体を動かすことが好きな一面がうかがえます。
バッテリィズ寺家さんは、おそらく皇学館高等学校でも、その活発な性格と明るいキャラクターで、友人たちの間でも人気者だったのではないでしょうか。
やっぱり、高校生活でもモテたでしょう・・・。
皇学館高等学校での経験が、後に芸人としての土台となった可能性もあります。
人前で話すことに慣れ、ユーモアや気配りの感覚を育んだ高校時代が、現在の舞台に活きているのかもしれません。
卒業後は大阪学院大学へ進学し、さらに芸の道を志すことになります。
バッテリィズ寺家(じけ)ー大学時代の詳細ー
バッテリィズ寺家さんは、三重県津市出身で、皇学館高等学校卒業後に大阪府の大阪学院大学へ進学しました。
残念ながら、バッテリィズ寺家さんが在籍した学部や学科などの詳細は不明です。
また、大阪学院大学には、短期大学部もあります。
大阪学院大学では、学業はもちろんのこと、バッテリィズ寺家さんの人生を大きく変える“お笑い”との出会いがありました。
三重県では視聴できなかった関西ローカルのバラエティ番組に触れる中で、お笑いの面白さに引き込まれましたが、この時は、まだ「芸人になりたい」とは考えていなかったようです。
大阪学院大学在学中に、バッテリィズ寺家さんは同級生に誘われて吉本興業の養成所「NSC大阪校」へ入学します。
しかし、当初は出席日数が不足し、中退扱いとなってしまいました。
養成所にも、出席日数不足なるものがあるのでね・・・驚きです!
中退扱いになるも、バッテリィズ寺家さんの才能は見逃されず、オーディションで認められ正式に吉本興業に所属することになります。
これが、バッテリィズ寺家さんの芸人としての本格的なスタートとなります。
また、大阪学院大学時代は草野球チーム「上方ホンキッキーズ」にも所属し、捕手(キャッチャー)として活動していました。
この上方ホンキッキーズで現在の相方・エースさんと出会い、二人は後にコンビ「バッテリィズ」を結成します。
コンビ名・バッテリィズも、野球のバッテリー(投手と捕手)から取られたものです。
大学時代は、寺家さんにとって“お笑い”と“出会い”の宝庫であり、今の芸人人生の土台を築く貴重な期間だったと言えるでしょう。
バッテリィズ寺家・学歴まとめ
バッテリィズ寺家さんは、三重県津市出身で、皇学館高等学校を卒業後、大阪学院大学へ進学しました。
バッテリィズ寺家さんは、大学在学中に吉本興業の養成所NSC大阪校へ入学し、お笑いの道へ進みます。
お友達に誘われて、NSCに入ったわけですから、お友達よ、誘ってくれてありがとう!
まさに、学生時代の出会いが、バッテリィズ寺家さんの現在の活動の礎となっています。
これからも、バッテリィズの露出はどんどん増えていくことでしょう!
ますますの活躍を期待します!!!
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